2015年12月27日日曜日

休日の音

いつも美味しいお米を育てては送ってくれるおじさん、おばさん夫婦のお宅にだんなと遊びに来ている。

縁側で座って庭を眺めていると、聞こえてくるのは遠くを走る車の音と鳥のさえずりくらい。

自分の半径200メートルがこんなに静か。という表現が適切かどうかはわからないけど、普段の生活ではかき消されるような遠くの音が聞こえる。

日常との距離を音で感じる。

子供の頃に毎年夏休みを過ごしていた場所に心癒される。


2015年12月24日木曜日

ゼロの年

人生の先輩たちから「女の人生は40歳からが楽しい!」という話を聞いていたけれど、それがどういう意味なのか、なんとなく自分なりに解釈できたと思う。

40歳はゼロの年ともいうらしく、積んできた経験から何かが生まれる年なのかな。経験値はそのままに、気持ちにリセットがかかるような感じかな。

私の場合は広報や執筆業のほかに、来年はいくつか新しいことを始めることになっている。二度と縁がないだろうと思っていた類の仕事も久しぶりにやる。キャリアというのは経験あれば再び巡ってくるものなのかもしれない。

プライベートも結婚生活まる5年。晴れ時々嵐。二人で乗り越えて今があることが最大の幸せだと思う。

ご縁とありがたいしがらみに恵まれる人生をゼロから歩む気持ちで40歳をスタート!

2015年9月19日土曜日

バレエとの出会い

私が幼稚園や小学校に通っていた頃も大人になってからも、バレエを教えてくれた小谷ちず子先生はまだまだ現役で舞台に立っておられる。生徒想いの面白くて厳しい先生で、生き方もその姿もとてもきれいだと思う。

私が幼稚園にも入園していないくらいの頃、フリルのついた赤い水着をタンスからひっぱり出して自分で着替えて、水着のまま「バレエ、バレエ」って言いながら家を飛び出し、小谷先生のバレエ教室をのぞきにいったことを思い出した。窓ごしに覗いていたような、こっそりとドアを開けて覗こうとしたらバレバレで見つかり中に招き入れてもらったような。

はたしてこの記憶は正しいのだろうかと、さっき母に電話して確かめた。そしたら私が3歳の頃に、母について兄弟の幼稚園の送り迎えをしていた時だったか、歩いているとちょうどバレエ教室をやっているのが見えたらしく、その後に起こった出来事だったそう。

そんな幼い頃の記憶が突然蘇ることに驚いてしまった。
  
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「生きる生きる踊る踊る」
Pカンパニーダンス公演 
小谷ちず子の踊

日時:10月24日18時〜 
場所:芦屋市民センター ルナ・ホール

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2015年9月6日日曜日

人は言葉に傷つき、言葉に癒される

樋野 興夫先生の「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」 を拝読。




樋野先生は順天堂大学医学部で、病理・腫瘍学の教授を務める病理学者。がん哲学外来の理事長をされている。医師と患者が対等の立場でがんについて語り合う場を設けられた。

外来を訪れる患者さんには医学的な治療は行わず、「言葉の処方箋」を出している。だから肉体的な副作用はないという。


この本に学ぶのは、必ずしも命が一番大事だと思わないほうがいいということ。時には、自分の命より尊いものがある、大切なものがあると思ったほうが、私たちは幸せな人生を送ることができるようだということ。


読みすすめるとこの意味がよくわかる。

死を宣告されたり、直面したりするまで自分の寿命に気をかけることはなかなかない。その時になってはじめて、生きる価値に気がつく。自分は何をしてきたんだろうと振り返る。

自分が生きてる「今」という時間以外には何もない。過去は過ぎたし、未来を心配しても、結局、なんとかすることができるのは「今」だけ。だからといってだいそれたことをする必要もなく、目の前のことを精一杯やって、一歩前に進めたなって思えることに喜びを見出せることが明日への幸せになるし、そういう過去を積み重ねていけばいい。過去を憂うこともなく、未来を心配して今を生きることもなくなる。

大きな夢でも小さな夢でも、何かしらとっかかりを見つけることは案外難しくなかったのに、ただやらないだけだったのかもしれない。それが過去の自分となり、今まで自分は何をしてきたんだろうと塞ぎ込んでしまう。

読みながら時間を巻き戻すことができない過去に悩み未来に不安を感じて今を生きるよりも今できる何かに目をむければいい
何かをすることができるのは結局「今」という時間しかないんだよな・・・って思いながら読んでいたデール・カーネギーの「How to Stop Worrying and Start Living」にも通底するものがあるように感じた



本に、年代ごとの役割が紹介されていた。

20代、30代は人に言われたことを黙々とがむしゃらにやる。
40代になったら自分のやりたいことや好きなことに専念する。
50代になったら積極的に周りの人の面倒を見る。
60代になっても自分のことしか考えていなかったら恥と思え。
高齢になれば人の面倒を見れなくなり、それどころか人に面倒を見てもらう立場になることのほうが多くなる。その時は人のことを想うだけでいい。

要は、年代うんぬんというよりも成長段階があるということ。

自分のことばかり考えて思いつめてしまう時は、他の人や、自分よりも困っている人のために何かできないかを考えてみる。本当にしてあげることができたらいいけれど、そう想うだけでも少し幸せになれる。それに自分ではコントロールできないこともたくさんあるから一喜一憂していてもしかたない。

「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」というタイトルは、この本を読む読者への「言葉の処方箋」だった。

2015年8月23日日曜日

今年の梅干し

今年も無事に梅干しづくり完了〜!

梅干し



今年の梅干しは、4軒の梅農家から仕入れて、「あまみ」という天日塩で漬けて、発色が美しい京都大原の赤しそを使った。

6月に梅を漬けはじめ、ゆっくりと室内干しして、先週末にようやく瓶詰めを終えた。

去年よりちょっと塩が強いかもしれないけど、なかなかの出来だと思う。




中本梅農園


七折小梅


左が中本梅農園、真ん中が紀州梅苑、右が七折小梅

海外出張で受け取れないからこの日からこの日までは送らないでくれって農家にお願いしてたのに、1軒の農家が誤出荷してしまって、出発した日に送られてくるという悲劇で今年の梅干しづくりがはじまったのはショックだったけど、梅しごとが終わるとそういうアクシデントもいい思い出になりましたよん。


今年の梅干しの材料
《梅 》
・七折小梅

《天日塩》


《赤紫蘇》


来年の天日塩は「完全天日干し塩 いごてつ」を使って、青梅は徳島県産を試してみよう。

2015年8月7日金曜日

PRの神様

っていうよりも、PRの巨匠といったほうがいい。

私が巨匠に出会ったのは2年前のことだった。

「あなた、ちゃんと仕事してるのね」って初めてあった時に言われた言葉は忘れない。

会う前から、はじめて電話で話をした時から、この 巨匠は本物の巨匠らしいということをうすうす感じてたから、胸をなでおろすような気持ちで、その言葉通りに受け取った。

人からの評価や批判なんて気にとめる必要はないとはいっても、尊敬に値する人が自分に言うことは別格。


2年経った今もお付き合いがあるけれど、あの時の言葉の意味合いが自分の中で変わってきた。

忘れない言葉というのは、同じ言葉のまま、時を経ると意味合いが変わるものなんだな。



2015年8月5日水曜日

facebookを仕事で使うの?

息子がアメリカに帰ってしまった。

その数日前に、せかせかとfacebookで作業をしていると、

「Hiromiもfacebook使ってるの? 仕事で使ってるの?」と聞いてきた。

「うん、そうだよ。今ちょいと仕事してるとこだよ」

「お〜」

という会話があった。

そうかぁ、あの年頃は、こういうものを仕事で使うことに新鮮さなのか何なのかを感じるのかぁ。

息子よ、その驚きなのか何なのかよくわからない反応が私にはとっても新鮮だったよ。

2015年7月30日木曜日

ウェブメディアに寄稿し続けるメリット

今年に入って、「オリコンCSランキング」というウェブメディアで英語関連の記事を寄稿し始めた。編集部からは週一で公開したいと言われたけれど、ハードルが高くて挫折するかもしれないから2週間に1回でスタートする約束をしていた。ところが、自分の頭の中にあるネタを並べていくと、毎週一本でも大丈夫そうだということがわかった。 理解ある編集担当さんが快く週一への変更を受け入れてくれて、めでたく3月からスタートした。

コラムでも連載でもないので、オリコンのどこかに私のエントリー一覧があるわけではない。だから、このプログにページを作って「しごとの英語」と名付けてみた。

そこそこの英語力があれば大丈夫で、そこそこの英語力というのはこれくらいですよっていうのを具体的に説明する内容になっていると思いたい。

例えば、「would」と「could」ってどう使い分けるの?っていう疑問。大人になってから英語を使うことになった人にとっては、英語上達の通過点ともいえるくらい、十中八九どこかでぶつかってしまう疑問。中学校か高校で習ったはずだけど、実際に使うまでにはちょっと年月が経ちすぎたからかな。

さて、私が寄稿し続けようというモチベーションは、単に英語ネタだったらいくらでもつきることなく書けるからというだけではない。やっぱり、読まれる記事を書きたいと思うから。読んでもらうためには、それなりの努力を継続していくことが必要で、ウェブメディアへの寄稿は結構なトレーニングになる。

さらにはネットであるがゆえに、PVを気にしなければいけない。と個人的には思っている。記事は毎月4回分くらいをまとめて提出していて、その時にかならずPVを聞くようにしている。どういうタイトルだと提携メディアが取り上げてくれるのかとか、しがないライターなりに悩みながら書いている。

うすっぺらい記事は作りたくないから、なるべく具体的かつポイントを凝縮するようにしている。その記事にぴったりなタイトルを考えるのに悩む。

記事ごとに書くテーマをあらかじめ決めて、そのテーマをなんとなくタイトルにつけておく。そして、書き終えた後にタイトルを作り直す。さらに編集担当さんの手が加わって世の中に出る。

そしてフィードバックをもらって、こういうテーマが読まれるからこうしましょう、ああしましょうという会話をしながら、普遍的な英語というテーマにトレンドを見つけていく。

リアルタイムで評価がわかるネットって、新たな発想する力を鍛えるにはいい場所だと思う。

2015年7月26日日曜日

山中教授を追いかけて

6月韓国・ソウルで開催された科学技術ジャーナリスト世界会議に参加した。

大事な仕事の数時間前に、2012年にノーベル賞を受賞した京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授の講演があった。ありがたいことに前から4列目くらいのところから話を聞けた。




講演のあと、サイエンスコミュニケーションを教えてくださっている元NHKのフーテンの寅さんみたいな大先生について、山中教授を追っかけた。


「ツーショットじゃなくて名刺交換しなさい!」

講演会場の出口で山中教授を待ち受ける群衆に私もまみれ、記念にツーショットの写真をお願いしようとしたら、大先生にビシッと言われてしまった。

足早に去っていく山中教授を呼び止めないといけないので、両方は無理!

幸い、講演の前に撮った集合写真で山中教授の左肩から顔を覗かせるポジションを確保できていたので、ツーショットではないけれどもよしとして、ここは大先生の言うとおり、名刺交換をさせていただいた。

看板しょったジャーナリストではないので、直接ご連絡する機会には恵まれないと思うけど、名刺交換する機会もきっとまたとはないだろうから、貴重な記念になった。

山中教授の名刺を眺めながら、集合写真でいい場所を確保するって大事なんだなってつくづく思ったのを思い出した。

名刺を整理するお休みの日の朝でした。





PsyのGyangnam Styleを思わせる工事現場の看板。 
何が「No!」なのかわかんないけど。



何年たってもお気に入りの動画。

2015年7月6日月曜日

離婚歴の「バツ」は「マル」になる

6月中旬からアメリカから息子が帰国してる。

世代が違うせいなのか、日米の文化をよく理解できるような育ちかたをしているからか、発想がやわらかい。

土曜日の朝、食事をしながら「バツイチ」という離婚歴の通称について話をしていたら、「再婚したら「バツイチ」じゃなくて「マル ニ」でしょ?」って言ってきた。

離婚したままだったら「バツ何」でカウントするけど、再婚したらカウントは「マル何」。

うん、うん。これはいいカウントの仕方だわ。


2015年4月20日月曜日

諦めること

4月19日、かすみがうらマラソンで走った。
結果は、ハーフを過ぎたあたりでリタイア。
エイドゾーンで待機していた「さよならバス」に乗って会場に戻ることに。

マラソンまでの2週間、天気が崩れていたり、やたら寒かったりと、トレーニングをサボる理由に甘んじてしまった。
今まで練習をサボってもフルマラソンは完走してきた。そのせいで、サボっても大丈夫だっていう気持ちを捨てられなかったのだと思う。
だから今回は、フルマラソンを走りきる体力や脚力を十分につけていないなら、無理に走ろうとしないと、自分に約束した。

せっかくのフルマラソンだからと思えば走りきることもできたかもしれない。
でも、去年の終わりに怪我をしたことが、セーブになった。
両手に荷物を抱えて走っていたら、つんのめって顎を地面に叩きつけ、膝も手も擦りむいた。顎の腫れは1ヶ月でなんとか治ったけど、膝の青たんはいまだに治らない。
ほんと、肉体的な加減は自己管理につきる。

諦めることを受け入れる。諦めたくないなら準備を怠らない。

基本的なことなんだけど、まぁ、そんなルールを決めておいたおかげか、今回のフルマラソンは、気持ちいいくらい潔く諦めることができた。

諦めるのも気持ちがいいもんだな。と思った。


2015年3月9日月曜日

手作り薬草オイル


リピート2回目。

はじめての1瓶を使い終えてから、しばらく忘れてたのに突然思い出したのはつい最近のこと。

ちょうど去年の今ごろだったと思う。アーユルヴェーダオイルの職人さんの六波羅知子さんが近所の集まりに来ていて薬草オイルを紹介していたのは。

アーユルヴェーダの本場インドのケララ州から薬草を取り寄せて作っているとのこと。
宇宙に存在するすべてのものは「空・風・火・水・土」の5つの元素が組み合わさって成り立っているとアーユルヴェーダでは言われているそうで、六波羅さんの薬草オイルはこれに基づいて作られてる。

あまり東京にはいらっしゃらないから試しにひとつ買ってみたのが薬草オイルとの出会いだった。

その時買ったオイルの名前を思い出せなかったんだけど、たしか、そのオイルにしようとした時に六波羅さんに「香りにクセがあるっていう人もいる」って言われたことと、ひのきっぽい香りがするって伝えたら、多分「Pitta oil」じゃないかと教えてくれた。

冬場はオイルが固まって、銀色の蓋だったら「Pitta oil」に間違いないと言われ、「Pitta oil」と判明。ちなみにオイルは20度以下は個体で、25度以上は液状になるのでお肌にのせるとしみ込みながら広がるから気持ちがいい。

今回はPitta oilともうひとつ試してみることにした。本当は試してから買いたかったんだけど、東京にはお試し販売に来る予定が当面ないとのことだったので、Pitta oilに近いものを一緒に買うことにした。Vata oilという、体を温める効果のあるオイルを薦めてもらった。
Pitta oilは体を冷やす効果がある。

Vata oilは秋〜冬に最適というのは本当で、使用感っとりさらさら。




Pitta oilは顔に、Vata oilは負傷して青あざができたまま治らない膝、突然凝り固まる肩、手足の乾燥するところに使うことにした。両方とも顔に試してみたところ、なんとなくPittaの方がお肌に馴染む気がしたからなんだけど。

ウエストとか背中のマッサージにはVata oilがいい。体をあたためてくれるしお肉をほぐしてくれる感じが気持ちいい。

手作りオイルをお探しなら六波羅さんの薬草オイルはおススメです☆

2015年1月5日月曜日

Change is The Only Constant in Life

Change is the only constant in life. 
 変わらないものなんてない。「変化」こそが唯一変わらないこと。

全てが変わり続ける。
同じ仕事をしていても、中身は変わるし状況も変わる。

結婚生活も5年目に入るとお互いに愛する気持ちは変わらなくても愛の形は変わってきたと思う。愛情表現も変わった。気持ちとかもなんだかよくわからないけどわかることが増えた。

会いたい友達に会えないことにも慣れた。
元気にしてることや近況なんかはソーシャルメディアでわかるけど、会った時にしかしないような話はそこにはない。だから次に会える日を楽しみに私も今日を頑張る。

高校生だった自分が30代の自分に願ったことは独立していることだった。
きっと近所の大きな会社に入って3年くらい勤めた後に社内恋愛で寿退社をするという未来予想図を描きながら、もしも30代になっても仕事を続けているのであればこうありたいと。

未来の自分がこうなりますようにと願うだけではなくて、それなりの努力を重ねてきたから今の自分がある。

初詣が神頼みにならないよう、願うことが叶う努力を今年も続けていこう。
願ったところで何もしなければ何もおこらないからね。

変わらないものなんてない。
これが唯一変わらないことだから。