2013年3月15日金曜日

シンガポールに行くと決めた頃の話 〜冒険のはじまり〜

 前回に続いて、シンガポールに行くと決めた頃のお話をしたいと思います。

 シンガポールに行くことになったのは、新卒で入社した松下電工(現パナソニック)での経験と環境がきっかけでした。

 配属された部署は海外事業推進部という、出向予備軍と出向を終えた人たちばかりの5人ほどの小さなグループでした。紅一点。海外へ行くのは上司や先輩たちばかり。次第に「どうすれば私は海外に出向させてもらえるのでしょうか」と先輩や部長に相談するようになりました。入社して3〜4年目の頃です。

 当時の私の仕事は、工場設備や商業施設向けの配線/配管材を海外に輸出する部署で、技術営業の人と設計図を作って見積もりをしたり、代理店や海外販社スタッフと海外の納品先までのシッピングコーディネイトをしたりなどの国内業務でした。やり取りのあった国は、主にシンガポール、韓国、香港です。
 現地での販売チャネル開拓を除けば、先輩が国内でやってることは私と変わりないように見えていたのでしょう。私にも海外で経験を積むチャンスを与えて欲しいと思うようになっていたんですね。

 結局、社内的にいろいろと難しい事情があり、それについては私も理解できたので、出向という希望は捨てることになりました。

 もちろん、希望は捨てても、「海外に出たい」という思いは変わりません。「出向」がだめなら「海外就職!」へと気持ちが切り替わっていきました。

「天下の松下」を、辞めるなんてもったいない。と言われることもありましたが、
私にとっては、やりたいことをやらずに後悔する方が、もったいなかったのです。
「あの時、やっとけばよかった」って後悔する自分の姿は想像したくないという気持ちが結構強かったように記憶してます。


  • 時間だけはどんなに頑張っても取り戻せないし、お金で買えない。
  • 失敗することは悪いことではない。やりたいのにやらないよりはずっといい。
  • 失敗したら、その経験を活かしてうまくいくように努力をしたらいい。
  • 住みにくかったら、帰国したらいい。


 こんな風に考えながら、日本から海外へのはじめての引っ越しと新しい生活に思いを巡らせておりました。

 母「海外に行ったことがない親から生まれたのにどうして? 海外に行かなくても日本で幸せを見つけることができるでしょうに。」

 父「5人子供がいたら1人くらいこういう子がいてもおかしくないのかもしれない。健康に気をつけて、自分の人生、好きにしたらいい。」

 5人兄弟のまんなかに生まれてきてよかったと思いました。


 シンガポールを選んだ理由は、現地採用で働いている日本人女性が比較的多く、住みやすいという話しを聞いたからです。日本より1時間早い程度の時差しかなく、飛行機で6〜7時間の距離なので、何かあってもすぐに帰れる点もよかった。冬が苦手な私にとっては常夏のシンガポールは魅力でした。仕事で電話やメールのやり取りをすることが多く、現地の人に対しての安心感もありました。

 国が決まった後は、住居、仕事、ビザ、英語、この4つの準備です。現地採用で大阪からシンガポールに渡った人を見つけ、相談相手になってもらいました。

 住居は、相談相手の紹介でシンガポール人ファミリーの一軒家に一部屋借りることが決まり、ひと安心でした。

 住居については、コンドミニアムやHDB(公団住宅)を借りるのが一般的です。私が帰国した2007年頃からシンガポール全域で家賃が高騰しはじめたので、これからシンガポールに渡る人は、家賃と光熱費で家計が圧迫される心配をしないといけないかもしれません。

 次は仕事。仕事を見つけるためには英文の履歴書が必要で、何をどのように書けばいいのかから調べていきました。現地のリクルートエージェンシーにコンタクトするのは、移住予定のタイミングの2〜3ヶ月前でいいことがわかり、時間をかけて作ることができました。ビザは、仕事が決まった後に申請するので、とりあえず忘れてよし。

 英語力については、電話の受け応えがままならず、「Can I take a message?(伝言を承りましょうか。)」がこわくて言えないレベルでした。面接までにはなんとかせねばと、誠ブログに書いたように「英語力向上計画カレンダー」を作って、英語の勉強にも励みました。

 何かを始めたいと思ったら、それに向けてスケジュールをたててる。そうすればやるべきことが見えてくる。

 シンガポールに行くと決めたことは、大人になってからの冒険のはじまりだったのかもしれません。

2013年3月10日日曜日

シンガポール

最近になってシンガポールで過ごした6年にありがたみを感じることが増えた。

どこに住んで何をしてきたかって、単なる個人的な思い出かな〜って思っていたけど、私の話を聞くために会いに来てくれる人や興味を示してくれる人が増えた。

シンガポールライフは、日本を外から見ることができたし、「外国人」であることの自由さと不自由さを学ぶことができた6年だった。

日本に帰ってきてからも、シンガポール時代の親友が泊まりにきてくれたり、私がシンガポールに行くときは泊めてもらったりという関係は続いてる。

日本を離れるって、当時の私はどうってことないように思っていたけど、どうってことあった。だからこそ、現地で心から話ができる人たちに出会えたことが一番の宝。

シンガポールに行きたいと思って、話をしに来てくれる人には、親友たちを紹介したいと思う。

私の失敗とか、その時に悩んでいたこととか知ってるので、きっといいアドバイスをしてくれると思うから。

今年はシンガポールに行きたいな。